「魂の目的」について

魂は失敗や苦しい経験をとおしてしか偉大さを発揮しようとしない


「魂の目的」についてお話します。

ブッダの本名ゴータマ・シッダルタは、成し遂げた者という意味です。

その名のとおり、ここでの彼の目的は悟り以外の何者でもなく、

それを確実に成し遂げました。


皆さんにとっても、今、この地球に生まれたからには、それ相応の目的があるはずです。

そして、これを達成しない限り、次の次元に進めないことは誰でも理解しています。


そもそも、私たちの魂が何も顕在していない「空」という故郷を離れるとき、

あらゆる可能性を顕在化して知りたいという思いがありました。

ですから、この次元においても、まだ知らない何かが残っているとすれば、

それはやり残したことであり、カルマとして取り組まなければなりません。


魂の目的を見出せないという悩みを抱えた方がたくさんいます。

そのような方たちの話を聞いていると、

一般的にとらえられる「魂の目的」たるものの定義が、

何か間違っているように思われます。


誰にとっても魂の目的は、地球に生まれた以上、

地球ならではの社会活動や現実と呼ばれる経験をとおして生じた、

自分自身の内面の葛藤を癒やすに値する「叡智」を得ること、

つまりカルマの清算以外の何ものでもないのです。

(※清算と言っても、カルマについては、以前にお話した意味になります。)


そして、この「叡智」を得るには、未熟さを克服し、深い洞察力や、

人格的な調和を得るためのさらなる経験が必要です。

このことからもお分かりいただけるように、

皆さんにとって経験は何より重要なことですが、

必要な経験は社会貢献であろうと犯罪であろうと、

非凡な才能を現すことであろうと、平凡な人生であろうと、そこは問題ではありません。


迷い、混乱、葛藤は、魂が持ち越した未解決の課題を顕著に示してくれるサインです。

どのような経験もすべては「智慧」を得るためのものだと理解していれば、

現実レベルで何をすべきかにそう悩みもしないでしょう。


ただ与えられたチャンスを受け入れ、実行していけばよいだけです。

もし、あなたに何らかのチャンスが来ても、

魂がその経験を必要としないのであれば、何かが起きてそれは実現しなくなるでしょう。


人は好き嫌いで自分の行動や人間関係を決めたり、

失敗しないと思うことしか取り組まなかったりするのが、

一般的に習慣化されたパターンです。

しかしこれでは、叡智を得るために必要な経験をすることはできません。


皆さんには、少し残念な話かもしれませんが、

魂は、失敗や苦しい経験を通してしか偉大さを発揮しようとはしないのです。

逆のとらえ方をすれば、失敗や未熟さは許されたことなのです。


時間が迫っていることでもありますので、どうぞあらゆる疑念を捨て、

いついかなるときにも勇気を持って行動し、経験を創造してください。

このような経験のプロセスを抜きにして、超意識のレベルまで達することは不可能です。

そして、ある程度カルマが清算されていくにつれて、心の中にいつしか穏やかさが蘇り、

ごく自然に意識レベルを上げていくための時間が与えられます。


これが仏教でいう菩薩の道、六波羅蜜です。

あなたの中の深い疑念が「叡智」によって取り払われるにつれて、

あなたに内在する高次自我が目覚めてきます。

そして、必然として、あくせく働かなくても生活できる豊かさ、謙虚に学ぶ姿勢、

自分を高めるために努める方法、そしてじっくりと瞑想することができる、

時間や思考によるものではない「叡智」が与えられるようになります。


これは現実を凌駕した世界であり、あなたを長いこと縛り付けてきた、

エゴ意識が創造する幻から解放されることを意味しています。

同時に、あなたはすべての評価を手放し、すべてを受け入れ、

あるがまま、つまりは必然を理解し、愛そのものになるのです。

Saarahat

 


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